皆様、こんばんは。しばらくご無沙汰致しました。
昨夜、ツイッターに投稿致しましたが、
我が家の愛犬 渡辺光 ピカちゃんが1月10日(木)18時08分に永眠しました。
私は、あまりのショックでツイッターやブログなど書く気力が失せ、しばらく喪に服していました。亡くなるなんて、まったく考えていませんでした。
1月9日(水)のブログでもお伝えしたように、介護と服薬でもう少し一緒に生活できると思っていました。
9日に、かかりつけの動物病院に通院して、先生からの様々なアドヴァイスを受け、食事をミキサーでトロミ食にして、シリンジで給餌し、水も一日670ml飲ませたほうがよいと言われたので、こまめに分けてシリンジで飲ませていました。
急変したのは、午後の3時頃でした。吐くような声をだしたので、すぐにそばにいきました。嘔吐物はほとんどなく、よだれのような水分を出して苦しそうにしていました。過呼吸になりおさまる気配がなかったので、これはおかしいと思い、前日診察を受けた病院に連絡しましたが、木曜日で休診のためつながらず、藁をもつかむおもいで、以前お世話になったことがある動物病院に連絡したら、診て下さるということで、急いで、車にピカちゃんを乗せて、病院に急ぎました。途中、「死なないで!」と願うばかりでした。病院に到着してすぐに診て頂きました。昨日の検査結果の用紙も持参しましたが、先生はその検査結果を見て、「これはいつ死んでもおかしくない検査結果ですよ!」とおっしゃしました。「とにかく、今、できるだけのことをします!」とおっしゃり、点滴をたくさん入れるのは危ないので、様子を診ながら慎重に安全な程度に入れて下さり、抗生剤と痛みを和らげるお注射をして下さいました。
先生のこの処置のおかげで、ピカちゃんの呼吸が少し楽になりました。あきらかに、今までの苦しそうな様子とは少し変わりました。その後、車に乗せましたが、呼吸が浅くなり、今にも死んでしまいそうな感じでした。とにかく家までがんばって!と私は祈る様な思いで家路を急ぎました。やっと家に到着して、ピカちゃんをいつも休んでいるリビングの寝床につれていきました。いつもの友達の猫さんたちココちゃんとみかんちゃんが集まってきました。
私とココちゃん、みかんちゃんに見守られ、ピカちゃんは、静かに息をひきとりました。18時08分でした。
ピカちゃんは、車の中ではなく、家に辿り着くまでがんばりました。
そして、最後に、以前お世話になった先生の処置のおかげで、ピカちゃんは少し楽になることができた。なにより、苦しみや痛みを和らげるお注射をして頂けて良かったでした。
この先生に最後に診て頂けて本当に良かったと思います。
亡くなる時は、父の時も、母の時も、今まで育てていた犬や猫の時、全部、いつも、
ただただ途方に暮れるばかり・・・・です。ただただ途方に暮れるばかり!
どうしたらよいのか本当にわからなくなります。
その都度その都度、これが一番という術でかかわるしかありませんでした。
本当にそれしかできませんでした。
亡くなった後、シャンプーをして身体を浄めましたが、ドライヤーで毛並みを乾かしていたら、ココちゃんがやってきて、お耳やお口をペロペロなめてくれていました。火葬・告別式までリビングに安置していましたが、ココちゃんとみかんちゃんがいつも通りにそばに寄り添ってくれていました。やはり、なかよし3人組です!
ピカちゃんの火葬と告別式は1月14日(月)福島市松川町水原にあるペット葬祭センター福島さんにお世話になり、とりおこないました。
この写真を遺影にしました。
7月のお散歩の時。この頃は、それまでの半分の距離になっていましたが、
歩くことが出来ていました。
2011年9月22日の写真。我が家に来て約5ヶ月の頃。
ピカちゃんは、もともと東日本大震災の被災犬です。2011年、4月か5月上旬の頃だったと思います。みなしご救援隊さんが原発事故でとり残された動物たちを救出して、福島市荒井にテントをはり、里親探しを行っていました。そこにいたのが、ピカちゃんです。
ご縁があり、私は、この白い犬を迎えることにしました。私は、この犬に、
「県北の地で第2の犬生を歩め」という願いを込め、光と命名しました。
渡辺光。まるで、人間のような名前!をあげました。
最初の頃、ピカちゃんは、私が朝8時頃、車で出勤する時に「わ~ん」の悲しそうに鳴いていました。
しばらく続きました。でも、夜に必ず帰宅するので、置いて行かれないということが分かったのか、気が付くと鳴かなくなりました。
ピカちゃんは、前の飼い主さんに忠誠を誓っていたのか、最初ハグをさせてくれませんでした。私の勘違いかな?と思い、何回かトライしましたが、絶対にやらせない!という気迫がありました。でも、それは、最初の頃だけで、次第に私にハグをさせてくれるようになりました!良かった!
ピカちゃんは、つい最近まで、お散歩の時に、すれ違う高齢の身体が大きい男性を見ると、目で必ず追っていました。振り向くこともありました。きっと、前の飼い主さんがそういう方だったのかなぁと思います。前の飼い主さんのことを忘れていないのだと思います。やはり、賢いワンちゃんです!
ピカちゃんは、可愛がられて育てられたのだと思います。でなければ、救出しようと手を差し伸べられても、逃げてしまったと思います。あの日、2011年3月11日から、1ヶ月ぐらいはさまよっていたようです。ピカちゃんには、何が起こったか、まったく分からず、相当のストレスを抱えて生きていたのでしょうね~。考えると辛くなります。
💖元気な頃のピカちゃん!💖
ご近所の皆さんから、ピカちゃん、ピカちゃん、と声をかけて頂きました。
💖お家に中で💖ピカちゃんとココちゃん!
💖ピカちゃんとみかんちゃん💖
💖ピカちゃんとココちゃんとみかんちゃん💖
💖なかよし3人組💖
💖ピカちゃん💖
火葬した時に、ペット葬祭センターの社長さんから、「骨がとてもしっかりしている!
このような骨のワンちゃんは長生きするんだよね~」と言われました。
ピカちゃんは、わが家に来た時の最初の年齢は謎のまま!獣医さんから歯の状態から7歳ぐらいかな~。と言われて7歳ということになり、あれから7年なので現在14歳ということになっていますが、もしかしたら、15歳かもしれないし、もしかしたら16歳かもしれないんです。
ピカちゃんは自分の生を生き切った!と思います。そして、我が家では、愛情たっぷりに、私や猫さんたちに囲まれて、また、ご近所さんから可愛がられて、とても幸せな一生を送ったと思います。また、最期の時も、我が家でいつもの寝床で、私とココちゃんとみかんちゃんに見守られて天国に旅立ちました。
ピカちゃん、大好きだよ!ずっとずっと大好きだよ!
我が家に来てくれて、私と一緒に居てくれて、みんなと一緒に居てくれて本当に本当にありがとう!
千穂 ココア みかん
他に猫さんたち
今日から、また、ブログ更新します。日常に戻ることが、私が元気になることが、ピカちゃんへの供養にもなると思うので!明日はレッスンがありますので、レッスンの記事です。これからも、よろしくお願いいたします。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。それでは、また、明日!
※私が作詞・作曲した「♪ありがとう」という楽曲をYouTubeに公開しました。もし、よろしければ、お聴きき下さい。こちらをクリックして下さい!
※Twitterを始めました。ご覧になりたい方は、こちらをクリックして下さい。
URLが変わりました。
https://twitter.com/niconicochiho